ブログを始めて3ヵ月が過ぎ、とうとう100記事目となりました
おめでとう自分
よく頑張った自分
な〜んて自画自賛
まだまだこれからですけどね
さてさて記念すべき100記事目に何を書こうかと思いましたが、ここで改めて自分の事を書こうかと思います
良く人に聞かれるのが何でチェロ選んだん?って事です
いつも「話してもいいけど長くなるよ」って言います
では、はじまり はじまり
僕が授業以外で音楽に触れたのは高校1年生の時
クラスメートでロックが好きでエレキギターの上手いベンちゃんと言う親友がおりました
こんな僕にずっと仲良くしてくれました
高校時代の僕はあまりいい性格とは言えないのに
今もやけどね
思いっきり影響を受けて僕もエレキギターを買ってハードロック、ヘヴィメタルの道に真っしぐら
髪の毛も長くなります
だがしかし
エレキギター、テレビとかで見るみたいに弾けない
指痛いし
僕には弦楽器は無理だわって思って直ぐに挫折
1年生の1学期はもの珍しいんでアーチェリー部に入っていましたが個人のアーチェリーのセットを購入すると言う話が先生から出て、話を聞くと30万円はするとの事
うちは貧乏です
親にはとても言えません
ベンちゃんもアーチェリー部にいたのですが一緒に退部する事になりました
2学期になったら次のクラブを決めなければいけないのですが同じクラスの ちくやんに
吹奏楽部入ったらエレキ弾けるで
と、半ば騙された様にして吹奏楽部にベンちゃんと入部しました
練習してもロクに弾けません
1回だけ文化祭で体育館のステージの上でサザンの曲を弾いた?のですが
舞台に居るだけでアンプの音量は0にしておりました
早く終わってと思ってました
エレキパートと言うのは吹奏楽部には無いので僕は余ってるバリトンサックス
ベンちゃんはユーフォニウムをやっておりました
しか〜しここでも根性の無い僕の事
バリトンサックスは重くて首が痛いし
低音はなんか何やってるのか良くわからんしで
嫌になって2年生からパーカッションに変わる事にしました
うちの高校は僕達が1期生なのでまだ人も少なくクラブもちゃんと確立してなかったのですんなりパート変えができました
それからドラムと出会います
楽しいのなんのって
夏休みとか休みの日は校門が開く時間に行って朝から下校まで叩きまくっていました
好きこそものの上手なれです
ドラムが叩ける人は世の中に少ないので当時は近隣の高校とかにも
あそこの高校にかなりドラムの上手い奴がいると噂されていて有頂天になっておりました
後輩なんかできてくるとますますカッコつけたがるのでそれはそれで上手になって行きます
3年生の最期の文化祭ではベンちゃん達6人でバンドを組んで大好きなアースシェイカーなどの曲を演奏し、ドラムソロも5分くらい叩きまくりました
最高の思い出です
吹奏楽部は3年生の時に金賞を取る事ができて突然うまい高校が出てきたので京都の吹奏楽界で話題になりました
こんな感じでどんどん音楽にのめり込む事となりますが、高校生なので次の進路を考え無くてはいけません
単純なので音楽の道に行きたいと思いました
しかしまてよ
今から目指してもやはり無理かもしれない
この先ずっとやる楽器の条件を考えよう
まずは
①家でやれる楽器じゃないと困る
て、事でパーカッション、ドラムと金管楽器はだめだわ
②太鼓類だったので旋律を弾きたい
打楽器はやっぱりダメだわ
ピアノもやった事無いから以前やった時はしんどかったので嫌だ
③旋律を弾きたい
吹奏楽部で
この曲知ってる?
とか吹く楽器の人はやってますが打楽器はできません
やっても何のことやらわかりません
メロディーできる楽器が羨ましかったです
④アマチュアでもいいからおじいちゃんになっても続けられる楽器にしたい
打楽器も吹く楽器も年をとったらしんどいしテレビ見てたら弦楽器ならおじいちゃんも弾いてるね
そうだ
弦楽器にしよう
旋律多いのはバイオリンかチェロかな
でもバイオリンは今さらプロになるのは無理だな
チェロは遅くから始めてもプロになる人がいるらしい
よし、音も綺麗で好きだしチェロに決めた‼︎
と、高校3年生の時点で決めておりましたが、なにせ自分も家族、親戚の中でもピアノすらやったことのある人は居ないし
近所にもいないんで先生の探し方もわからない
居たとしても直ぐに音大受験なんか出来ないのでその為に何年も浪人なんてできないし、だいたいピアノすらやった事の無い人間が誰も合格するなんて思わないので人には言えない
そこで交響楽団のある一般大学を調べて受験して入学してからその先に進もう
こんなに遅くから始めるからプロは無理かもしれないのでその時は就職ができるように法学部にしよう
て、事で最終的に関西大学法学部に入学
チェロ枠がいっぱいになったら困るので入学式が終わったら直ぐにクラブボックスに飛んで行ってチェロをやらして下さいと入部しました
偶然にも同期のチェロで両親が京都市交響楽団の奴がいましてチェロの先生を紹介してもらってやっと念願のチェロを弾く事ができました
その後バブルの頃だったのでとりあえず宅地建物取引主任者の試験も合格してこれで受験に専念できると頑張っておりました
3回生になったらピアノ、ソルフェージュ、楽典とかの受験科目をやり始めようと思っておりましたが
その少し前くらいに師匠の先生が 何か感じとっていたようで
んで、お前は何がしたいんや?
って聞かれました
聞かれたらしょうがない
誤魔化す事も無いので話しました
音大受験生を持った事の無い先生だったのでなんだか
やっぱりかあ〜
て、感じでがっくりしてました
それでもピアノの先生を紹介して下さってそこからもう大変
なにせピアノ弾いたこと無いですもん
聴音?そんなん音なんてわかりませんわ
新曲視唱?新曲支障やわ
音取れるわけないやん
口には出しませんけどね
こんな感じでした
でも、やらないと受験できないので必死にやりました
何とか浪人もせずに関西大学から東京音楽大学に進む事ができてようやくプロへのスタートラインに立てました
やはり長くなりましたね
これが僕がチェロを始めたストーリーです
自分はやりたい事をやってただけなのでしんどくてもいいのですが
親は本当に良く許してくれたと思います
全然恩返しできていませんが
感謝しかありません
100記事記念と言うことで長文となりましたが
最後まで読んでいただきありがとうございました
101回目は やはりプロポーズの話(笑)?